構成の巧妙さに満ちた感動作『4月になれば彼女は』

今回は2024年春公開の映画『4月になれば彼女は』の感想です。(後半ネタバレ注意)

 

映画『4月になれば彼女は』の原作は川村元気の小説で「10年にわたる愛と別れを、壮大なスケールで描いた心に刺さるラブストーリー」である。(公式ウェブページより映画『四月になれば彼女は』公式サイト (toho.co.jp)

この映画は構成がしっかりしていて良い。主題が首尾一貫していて、その描き方も丁寧だ。最近の映画や小説は、良いことを言っているから良い作品だろう、などと思って主題を箇条書きするものが多いが『4月になれば彼女は』は違う。主題が一貫していて、一見矛盾しているように見えてもそれは最後の主題の提示に向けた過程に組み込まれている。伏線も丁寧に回収されていて、最後まで見ないと伏線だと気が付かないような巧妙な張り方をしている場所もある。

ただし主題や構成そのものはありきたりである。そこに新奇性はないため過度に期待してはいけない。とはいえ、陳腐ともいえる主題や構成で全体として質の高い作品になっている。108分が有意義に感じる作品であり、見るべきだ。

 

以下ネタバレ注意

 

 

 

 

 

この映画の問いは『愛とは何か?』であり、答えとなる主題は『愛とは相手を知ろうとすることだ』である。ここでは問いの展開と主題の厳密な提示について述べたい。

まず、問いの展開について。①序盤で弥生(長澤まさみ)は『手に入れられない愛は美しい』というようなことを思っており、偶像的な愛というものを考えている(これ自体は中盤終わりの回想でわかる)。一方、藤代(佐藤健)の愛についての考え方は明確にされていない。➁弥生が失踪したあと、弥生と藤代は愛とは何かについて考える。面白いのはその過程で関わる人々は『愛とは何か』という問いの答えを『愛とは相手を知ろうとすることだ』と知っていたのではないかということだ。バーのマスター(中野太賀)や養護施設の老婆もこのことを半ば明示的に弥生と藤代に対して示しているように思える。➂終盤、二人は愛とは何かを知る。最後は藤代が弥生のもとを訪れてハッピーエンドということだ。

ここまで読んでわかるように内容は陳腐の一言である。落ち着くとことに落ち着いた感があって少々不満に思ってしまう。しかし、この作品の素晴らしい点は構成である。問いの展開が『愛とは相手を知ろうとすることだ』という主題の背骨をもって進んでゆく。映画の序盤では、愛を愛するではないが、偶像的な愛しかこの世にはないのだという悲劇を予想した。しかし、終盤では『愛とは相手を知ろうとすることだ』という主題が明確に提示される。ここに矛盾を感じてしまう。それはこの作品が登場人物の心情変化をはっきりと描かないからそう思えるのであって実際には心情変化が起きているのだ。心情変化を踏まえるとこの作品はなんら矛盾しない。映画館で上映後、「なんかよくわからなかったねー」という声が聞こえたが、この一貫性に気付いてほしいと傲慢ながら思ってしまった。

次に、主題の厳密な提示について。この作品の主題は『愛とは相手を知ろうとすることだ』であって『愛とは相手を知っていることだ』ではないことに着目してほしい。つまり、進行形で相手に踏み込み、寄り添おうとする姿勢が愛なのであって、相手を知っているという状態は愛ではないということなのだ。このことを映画では繰り返し主張している。例を挙げると、中盤終わりに養護施設で弥生が働いており、弥生が老婆に「素敵ですね」というシーンがある。(余命宣告された老婆と夫は別々に暮らしていて、夫が老婆に会いに来ていた。その夫が自宅に帰るときに老婆と夫が手を振りあっていたシーンがある)その時に老婆は手元の写真を見ながら、「夫がこんな表情をするとは知らなかった。50年以上連れ添っても知らないことだらけだ」というようなことを言っている。他には、序盤に弥生が「愛が冷めないための方法は何か?」と洗面所で藤代に聞き、対して藤代は「何それ?なぞなぞ?」と返している。この質問に対する答えは中盤終わりに「愛を冷めないようにする方法は愛を手に入れないことだ」と藤代の回想シーンで提示される。ここで大事なのは質問の答え自体ではなく、藤代が弥生を知ろうとしていなかったことを暗示していることだ。物語が進んで愛とは何かということに気づき始めた時、弥生が昔言ったことを思い出したのだ。一つ目の例は弥生が、二つ目の例は藤代が『愛とは相手を知ろうとすることだ』という答えに至る伏線になっていたのだ。その他にも上映後に伏線だったと気づいたシーンが多くある。特に一つ目の例のシーンは際立っている。

結論として、構成が非常に整っていて、作品を主題が一貫する稀有な作品であることは間違いない。

ちなみに送葬のフリーレンを読んでいなかったらこの映画の良さに気づけなかったであろう。どこから着想を得るかわからないものだ。